羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

薔薇園にて

バラを育てているともだちが、車で10分ほどのところにある薔薇園に連れていってくれた。

百花繚乱というけれど、ここはバラだけで90%。

それも百種類ではきかない、数百種あるだろう。

あまりのことに、脳の薔薇感応細胞(これまでの一生で薔薇を見てきた経験によってできている)が完全にオーバーフローしてしまい薔薇麻痺ともいえる状態に。

 

わーきれい、わーかわいい、を連発するほかなにもできないのだけれど、iPhoneのカメラを構えてみて調子が変わった。

写真を撮ろうという気持ちになる薔薇とならない薔薇があるのだ。

 

撮りたい薔薇は、小さくてたくさん咲いていたり、それより大きかったら花弁が少ないか一重で、花芯が見えているもの、色は淡いもの。

いわゆる「オールドローズ」系の薔薇や野バラに惹かれることがわかった。

 

大輪の白や深紅の薔薇、紫のや渋い茶系のもの、黄色い薔薇、花弁が重なりに重なって薬玉のように咲いているものなどは、きれいねえ、といいながら通りすぎていた。

もう、はっきりと傾向があるのだった。

 

これってなんなんだろうね、とともだちと、温室の隣のカフェで紅茶を飲みながら話した。

自分がこうありたいと思うような姿を薔薇に見ているのではないか、という結論だった。

つまり、派手さはなくて可憐、シンプルで清楚、「きれい」「美しい」より「かわいらしい」。

 

薔薇は、お花屋さんで見るような薔薇だけではないのだ。

むしろ、あの、まっすぐな枝の上に顔のように咲いている薔薇のほうが特殊なのではないかと、薔薇園の薔薇を見ると思うようになる。

 

いちばん気に入ったのは「アンジェラ」という、花芯が見えていて花弁の少ない野バラのタイプ。

色は濃いめのピンクだったが、一目で気に入り、ともだちに向かって前置きなしに「これにするー」と叫んでいた。

自分で育てたいともなんともいってないのに。

 

緑の指ならぬ茶色の指(すぐ枯らしてしまう)わたしのことだから、ほんとうに育てる覚悟がつくかどうか、まだしばらくは考えなくてはならない。

いまはアンジェラの写真を待ち受けにして、かわいいなあとにやにやする段階。

 

そして写真を見ていると、またいきたくなる。

薔薇に呼ばれている気分だ。