巻き尺
黙ってなにかを観察して、それについて考えて、自分のなかで言葉にする。
わたしは時間のほとんどをそうやって過ごしている。
見たものから以前考えたことを思い出して、またそのことについて考え、言葉を上書きもしている。
観察と言語化からは起きているあいだじゅう意識が離れないといってもよい。
長いことそれを続けているとどうなるかというと、いま目にしているものならなにを指さされても、それについて文章が書ける。
イメージとしては、すべてのものがわたしには巻き尺のようなのだ。
ケースに入っていて、引っぱって出し、離すとケースのなかにしゅるしゅると戻る、あの巻き尺。
見えるものにはおのおの、タブがついていて、そこを持って引っぱるとテープのようなものが出てくる。
そこにはかつてわたしが書いた言葉が書いてある。
もっと引いて白い部分を出して新しい言葉を書くこともできる。
読んで書いたら手を離せば、テープはそのもののなかに巻き取られていく。
次は、べつのなにかのタブを引くのもいいし、どのタブにも触らずに場所を変えてもいい。
実際に書いたものに愛着を持たないのは、どこからでもタブを引けばまた書けると思っているからだろう。
「自分を大切にしてない文章だね」といわれたこともある。
わたしとしては、見える文章の分量を増やすよりも、手を離したら見えなくなる巻き尺を長く伸ばしたいのだ。
すべてのものが、目に見える形の内側に、言葉のリールを持っている。
それがわたしの世界だ。