羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

天パー顔

生まれてこのかた天然パーマのわたし。

略して天パー。

これからの季節、カールは激しくなるばかり。

その上一本一本細いので、寝て起きるだけでからんで鳥の巣状態だ。

 

美容室で、スタイルブックを見ると「天然ウエーブのようなゆるパーマ」をかけた長めボブ、なんていうのがしばしば出てくるが、これはあくまでも「ような」の話。

本物の天然はそんな穏やかなものではない。

 

なんといっても、毛穴の一個一個がひしゃげているのだ。

生クリームの絞り出し袋を思い浮かべて欲しい。

まんまるの絞り出し口ならクリームはまっすぐちゅるーっと出てくるが、それがひしゃげていたら?

クリームはうねってあっちこっちへ向かって出てきて着地するときには折り重なるだろう。

それが天然パーマの髪だ。

材料は同じでも、ひしゃげた毛穴から押し出されるからうねって丸まったりはねたりするのだ。

一本一本、違ったうねりかたをしているわけだから、どんなに梳かしても揃って流れることはない。

それが天パーの宿命といえよう。

 

ヘアスタイルとしては、うんと短いか、結べるくらいに長くするかの二択しかない。

ボブカットなんて半端な長さにしようものなら、毎朝爆発してマッドサイエンティスト頭である。

 

そして、ここからが本題だ。

天然パーマの人間(とくに女性)には、明らかに顔の傾向がある。

説明は不要。

中島みゆきの顔。

あれが典型的天然パーマ顔だ。

 

天パー顔には、きりっとした目鼻立ちというものはない。

髪同様、どこもかしこもほにゃっとして、人を食ったような、ふざけ気味の朗らかさがある。

 

小さい子にもその傾向は見られる。

よくいえば日本人離れした髪質に、ほんにゃりした表情。

髪の色や顔の色、眉毛や瞳の色も淡いことが多い。

 

わたしも、いまの自分には中島みゆきがかなり入っていると思う。

天パーが顔を決める。

そんなことがあると、天パー本人が思っている。