校正仮面
職業柄、街なかでも言葉と文字が気になる。
看板や張り紙は、おそらく目に入る限り読んでいることだろう。
二階にある居酒屋が舗道に面した階段の上がり口に貼っている惹句の短冊ですら読んでしまい、あまつさえ誤字を見つけて、足は遠ざかっていくのに気持ちがいつまでも短冊に釘付け。
とって返して赤ペンで直してしまいたい衝動にかられる。
「空飛ぶモンティ・パイソン」のなかでも最も好きなコントの一つ「自転車修理マン」よろしく、電話ボックスに飛び込み(まだそのへんにあるだろうか)「校正ウーマン」に着替えて(服は変わらないけど赤ペンだけ手に持って出てくる)居酒屋の短冊の誤字を正す。
そしてなにごともなかったかのように去っていく(赤ペンはバッグにしまう)。
巷の誤字というものはたいてい、文字や文章をつねには書かない人によってなされる。
つまり、本人には迷いや疑いがない。
したがって見た目がとても堂々としている。
読むほうもたいていは、文字にも文章にもあっさりしたアプローチの人たちだから、堂々とあっさりでうまくいく。
わたしのような面倒な人間が通らなければ、ここは平和だっただろうに。
そう思ったことが何度もある。
世間というものは書き取りテストではないのだから、誤字だって書き間違いだっていくらしたっていいのだ。
わたしも街ゆくときはそういうおおらかな気持ちでいたい。
短冊もおおらかに通りすぎよう。
でもやっぱり、反応してしまうだろうなあ。
職人的な人間はオンとオフの切り替えができない。
赤ペンがバッグのなかで震えるような誤字との出会いが、明日もあるかも知れない。
あなたが街を歩いていて、おや、こんなところに赤い文字、と思ったら...
それはわたしがあなたに残したメッセージ。