羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

寒くない?

母がいま、わたしにできる問いかけは、たった一つ。

「寒くない?」

 

「寒くないわよ」と答えると、

「そう、わたしは寒くて寒くて」という。

 

話しているのは老健施設の食堂だから、わたしは母の部屋からケープや膝掛けを取ってくるが、じっさいには寒いわけではないらしい。

着せたり掛けたりしても興味は湧かないようだ。

 

思い起こすと母は、わたしがこどもの頃も、よく「寒くない?」と聞いた。

「寒くない」と答えても、ベストやカーディガンを着せられるのがつねだった。

わたしが週末ごとに熱を出していたからかも知れない。

内科にいくと、カルテはいつも、苗字の最初の音の棚の、いちばん上にあった。

 

そんなふうに、わたしの体をよく心配してくれていた母だが、いつの頃からか、自分のことばかりいうようになった。

 

わたしが「喉が痛い」というと、母は必ず「わたしも」といった。

自分の喉の痛さが宙に浮いてしまう気がしたものだ。

 

母は19歳で自分の母親を亡くした。

あとから思うと、だが、わたしがそのときの母の年齢を越えてから、母はわたしにどう接したよいか、わからなくなったのではないか。

 

自分が親にされなかったことをこどもにするのは難しい。

自分が親にされたことをこどもにしないことも、また難しい。

 

親と子という世代が、役割をぱたんぱたんと裏返しながら続いていく。

自分が子として得られなかったものを、親となったときに自ら満たすことができれば、親と子の問題は薄らぎ、いつか消えていくのではないだろうか。