もともと違うから
こどもたちはそれぞれ性格が違う。
当たり前のことだけれど、息子は、わたしが同じように育てたのに、どうしてこんなに正反対なのだろうかと疑問に思うらしい。
娘は「もともと違うからでしょ」と気にも留めていないところがまた違っていて、面白い。
母としては思う。
「同じように育てた」の「同じ」が、なにをするにも本人の意見を聞く、聞かれたことに答える、の二つだったからだろうと。
意見はそれぞれに違うし、聞いてくることも違う。
わたしは対応に徹していたから、彼らはつねに自分の意見で自分なりに育ってきたのだ。
その結果、娘がいうように「もともとの違い」が際立っている。
互いに違うということが個性である。
同じだから仲よくできる、違うから仲よくできないということはない。
息子と娘も、違う違ういいながら、ながなが話しあっている。
二人が仲がよければわたしにはなにもいうことはない。
これから先もずっと、なにかあれば相談しあえるきょうだいでいられるだろう。
いっしょに育ったそんな相手がいることがとても羨ましい。
自分が羨ましく思えるようなきょうだいを育てられたことが誇りでもある。
それも、こどもたちが自分の意見をしっかり持っていてくれたから。
わたしは聞いたり答えたりしているだけでよかったのだ。