羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

父の戦 2

戦争は終わったが、父はすぐには帰国できなかった。

ひどいインフレーションが起こり、二つのトランクに足でお札を詰め込んで、上海に向かった。

そこで時機を待つことになる。

 

上海の租界のホテルに滞在していたらしい。

日本人も少なくなかった。

演奏家の夫妻と親しく過ごしたり、酒場の日本人女性とも馴染みになった。

 

帰れる見通しが立ってきたころ、父は酒場の女性に、いっしょに帰らないか、と持ちかけた。

夫婦を装えば出国できるだろうといったのだ。

女性は迷うことなく断ったという。

わたしたちに帰るところはないから、と。

 

彼女のような日本人女性は租界に何人もいた。

みな上海に残ったのだそうだ。

父は自分の本のなかで彼女らを「大和撫子」と書いていた。

 

それはロマンティックに過ぎるようにわたしは思った。

なぜ彼女たちは上海に渡り、なぜ帰らなかったか。

心情を想像するには余りある。

 

昭和22年、28歳の父は帰国の途についた。