羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

父の戦 3

少し前に娘と観た日本映画。

「第二次大戦後、特務機関の将校たちが中国から大金を持ち帰って近海に沈めた」という設定だった。

「おじいちゃんも持ち帰ってきてくれてればねえ」と二人で笑った。

 

父が実際に中国から持って帰ってきたのは、二枚の軍用毛布だけだったという。

それは厚地で物がよく、闇市でけっこうな値段で売れたそうだ。

 

中国からの船は真鶴に着いた。

陸地が見えてきたとき、それが緑色だったことに父は涙した。

中国では黄色い大地と岩の山しか見ていなかったから。

 

祖父に迎えられ、父は家業の穀物商を継いだ。

養鶏場から出た鶏糞を北海道に持っていき、帰りには雑穀を仕入れて帰ってくる。

そんな暮らしをしていても、父への占領軍の監視は厳しかったらしい。

中学の友人を何人も失っていたこともつらかったそうだ。

 

当時「アプレゲール」という言葉があった。

戦後に世を拗ねてしまった若者たちをそう呼んだ。

20代の5年間を中国で過ごした父もその一人だったのかも知れない。

 

10年後、父は家業をつぶして東京へ逃れる。

わたしが生まれていよいよ食いつめたとき、父は興信所を始めた。

共同の事務所のなかに机一つと電話一本を借りて。

父が特務機関で身につけたものが、わたしたち親子を生きのびさせたのだ。

 

会社が軌道に乗りはじめたころ、父はある作家の取材を受けた。

自動車会社同士の情報戦を描く作品のためだった。

わたしはあるとき、テレビで、偶然にその作品を映画化したものを見た。

 

「特務機関上がりの興信所所長」が出てきたかと思ったら、机の引き出しから軍隊時代の拳銃を取り出して発砲、そのうち自分が撃たれてしまうのだった。

俳優はおじいさんに近いようなおじさんで、口髭など生やし、父とはぜんぜん似ていなかった。

だいいち、父が拳銃を撃ったのは中国の遊郭で、それも天井に二発だけだったのだから。