ほんとうの…
歌詞でも詩でもコピーでも雑誌の特集タイトルでも、散文だったとしても、そこに「ほんとうの」という言葉が見えると、わたしは白けてしまう。
「ほんとうの」それ以外は「うその」なの、と反抗的な態度を取りたくなるのだ。
「ほんとうの優しさ」「ほんとうの人生」「ほんとうの恋」「ほんとうの愛」「ほんとうの時間」「ほんとうの幸せ」…
きりがない。
「ほんとうの」それを探したり見つけたりつかんだりすることが「ほんとうに」生きるということなのよ、なんていわれた日には家出しますよ、これからでも。
自分のなかにいまあるものがすべてであり、すべてはいま自分のなかにあるのだ。
言葉遊びのようだけれど。
ほんとうやうその区別はなくて、たとえば愛はたとえ一雫でも大海とつながっている。
全体と分かちがたい部分としてのわたしたちが、たとえば愛の真贋を問うなんて、ナンセンスなのだよ。
ほんとうかほんとうじゃないかなんてケチなことはいわないで、ただ、愛したらいいのよ。
…でもねえ。
これも「ほんとうだのうそだのいわないことが『ほんとう』だ」といってることになるのかしら。
わたしがわたしの思うことを実践するならば「ほんとうの」連呼の歌も普通に聴けるということかしら。
でもやっぱり、反射的にむっとしてしまうのよね。
「ほんとうの」が聴こえてくると。
単純にいって、安易な気がして。