羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

ほんとうの…

歌詞でも詩でもコピーでも雑誌の特集タイトルでも、散文だったとしても、そこに「ほんとうの」という言葉が見えると、わたしは白けてしまう。


「ほんとうの」それ以外は「うその」なの、と反抗的な態度を取りたくなるのだ。


「ほんとうの優しさ」「ほんとうの人生」「ほんとうの恋」「ほんとうの愛」「ほんとうの時間」「ほんとうの幸せ」…


きりがない。


「ほんとうの」それを探したり見つけたりつかんだりすることが「ほんとうに」生きるということなのよ、なんていわれた日には家出しますよ、これからでも。


自分のなかにいまあるものがすべてであり、すべてはいま自分のなかにあるのだ。

言葉遊びのようだけれど。


ほんとうやうその区別はなくて、たとえば愛はたとえ一雫でも大海とつながっている。

全体と分かちがたい部分としてのわたしたちが、たとえば愛の真贋を問うなんて、ナンセンスなのだよ。


ほんとうかほんとうじゃないかなんてケチなことはいわないで、ただ、愛したらいいのよ。


…でもねえ。

これも「ほんとうだのうそだのいわないことが『ほんとう』だ」といってることになるのかしら。


わたしがわたしの思うことを実践するならば「ほんとうの」連呼の歌も普通に聴けるということかしら。


でもやっぱり、反射的にむっとしてしまうのよね。

「ほんとうの」が聴こえてくると。

単純にいって、安易な気がして。



毛糸の国のアリス

編み物の季節がやってきた。

毛糸の手触りに心が安らぐ。


母に初めてかぎ針編みを教わったのは、小学校5年生のときだった。

不思議の国のアリス」のアリスを編みぐるみで作った。

最初からずいぶん難しい作品に挑んだものだ。


肌色の毛糸で顔とボディを編み、青の毛糸でワンピースを編んだ。

髪は黄色。

白いフェルトに瞳を刺繍して目にし、鼻は小さい玉を肌色で編んだ。

口は赤い毛糸で刺繍。


かなり散らかった印象の顔つきになったが、それがまたかわいらしかった。

長いこと本棚に飾っておいたが、実家を出たあたりでなくしてしまった。

もしかするといまも母の家のどこかにあるかも知れない。


アリスの後は動物の編みぐるみをたくさん作った。

なかでも、グリーンの濃淡の縞模様のしっぽを持ったアライグマは愛嬌のあるやつだったと覚えている。


人形やぬいぐるみが好きだったから、編み物で自分で作れるのはとても楽しかった。


編みぐるみの最初は、毛糸で輪を作り、そこにたいていは6目細編みを編みいれて、輪を引き締める。

6目の小さな丸ができる。

2段めは6目のそれぞれに2目ずつ編みいれて12目にする。

3段めは1目置きに2目ずつ編むから18目になる。

4段めは2目置き、5段めは3目置き…


そんなふうに増やしていくとしだいに半球に近づいていく。

望みの大きさになったら増やすのを止めて前の段と同じ目数に編む。

そのまま数段編んで、今度は減らしていく。

増やした過程を逆にたどるのだ。

最後の段、6目になったら綿を入れて引き絞る。


これでボール型のできあがり。

人形やテディベアの頭になる。


この編みかたで、帽子を作ることもできる。

半球まで編んでかぶれば、あったかい。


去年は半球にポンポンを二つつけてクマさん帽子まで作ってしまった。

かぶる人を編みぐるみにする計画である。


ここ数年は棒針の凝った模様編みにも挑戦している。

かぎ針も棒針もどちらも楽しい。

そろそろ編みぐるみにも復帰したくなってきた。