羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

百年傾向

体力はついてきたとはいえ、人並み以下で、乗り物酔いもすぐするわたし。

それなのに、過去18年半、健康保険を使ったのは歯医者さんだけ、というのを自慢にしている。

人間ドックはおろか、健康診断も大学卒業以来受けていない。

それは自慢にはならないとよくいわれるけれども。

 

18年半の間、これはちょっとまずい、と思ったのは、インフルンザの高熱が一回と、腸の問題が一回。

しかし、どちらのときも、病院にいかなくては.....とうなっている間に、なんとかなってしまった。

 

友人が、喉がいがらっぽいから病院にいく、といっていたときには、礼儀として、そう、それはお大事に、といったのだけれども、、喉がいがらっぽいなんて、わたしにすれば日常茶飯事だけどなあ、と思っていた。

 

それで考えた。

健康でなんのトラブルもない状態が基準になっている人は、おそらく、不調はただちに治してもとの状態に戻さなければ、と思って病院にいくのだろう。

わたしは、一つ二つ不調があるのが基本になっていて、もう一つ増えたくらいは許容範囲だ。

 

また、わたしは、体がわたしを脅かすとは思わない。

体に悪いことをするのはわたしのほうで、不調があれば、その原因を作ったのはわたしなのだ。

 

体は、ほんとうによく、わたしにつきあってくれている。

こどもを二人ももたらしてくれたし、母乳育児もさせてくれた。

仕事に集中しても、趣味に没頭しても、どちらも仕上げさせてくれる。

感謝、重ねて感謝だ。

 

「無病息災」をもじって「一病息災」といったりするが、母は別の言葉を使っていた。

「にゃら百年」。

三河の言葉なのかどうか、母は祖母から聞いたらしい。

「にゃらにゃらしたやつほど、百年も長生きする」を略したものだそうだ。

 

わたしも、タクシーワンメーターで酔ったとか、醤油のせいで頭痛になったとか、鼻風邪で味がわからないとか、やたらにぼやくが、それは「他の部分は健康でラッキー」という意味だったかも知れない。

にゃらにも感謝。