羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

鎖国女

わたしはいまだかつて外国にいったことがない。

物書きなのに。

この時代に。

いったいいままで。

なにをしていたのか。

 

いわゆる海外を飛びまわって仕事をしている元同級生から、最近になって「鎖国女」というあだ名をもらった。

そういうあなたは「黒船女」ね、といい返したのだけれど、それははずみで、ほんとうは「ジョン万次郎女」ね、といったほうか効いただろう。

 

鎖国を続けているわけは、一つには、ずっと乗り物酔いがひどかったこと。

いまでもタクシーに乗った瞬間に酔うことがある。

開通当初から乗っている新幹線だが、毎回、酔わないかな、と不安がよぎる。

飛行機で外国にいくとなったら8時間くらいは乗っていないとならないのでしょ。

酔ったらジゴクの苦しみだ。

 

じつは、船釣りをする知り合いから、これをのめば絶対に大丈夫、という酔い止め薬を教えてもらっていて、仕事でいたしかたなく国内線のプロペラ機に乗ったときにも使った。

酔わなかった。

だから頼みの綱はこの薬。

2年と少し前に初めて取得したパスポートといっしょに大事にしまってある。

この二つがあればいつでも高飛びできる、という思い入れで。

 

もう一つの理由は、体力に自信がなかったこと。

30歳くらいまでは、有楽町から銀座に出るのにも地下鉄に乗っていた。

外国にいってほうぼう見てまわるなんてとても無理だと思った。

32歳で出産したが、妊娠と出産に耐えうる体力はついたのだと思ってやや自信を持った。

だが、そこからは育児が始まり、下の子も生まれ、海外旅行どころではなくなった。

こどもを連れて海外へいく人だってやまほどいるが、わたしはこどもたちと日々過ごしていくのが精一杯で、旅行はせいぜいが箱根までしかいけなかった。

 

そうして月日は過ぎていき、こどもたちは大きくなったし、わたしも体は前より丈夫だし、外国だってあの酔い止め薬さえあればいける、かも、と思ったら、母の介護が始まった。

 

そういうものなのだ。

なんでも「矢先」にやってくる。

だけど、希望は持とう。

いける、かも、のときに取ったパスポート。

まだ身分証明書代わりにしか使ってないけど。

でも、あるのとないのとでは大違い。

ほんとうに、明日からだって、いこうと思えばいけるのだ、どこへでも。

 

だから鎖国女ではなくて、気持ちは開国女ということで、あだ名変更をお願いします。