自分の文章を書く
一人称の話を前に書いた。
小学校の作文で初めて一人称を使う一人称はなんだろう。
男の子なら「ぼく」女の子は「わたし」だろうか。
中学に入って「僕」になったり「私」になったり。
大学生ともなれば男子もレポートでは「私」を使うことだろう。
年齢が上がったから、周りに合わせてなんとなく、社会的に。
いずれにせよ、外の理由で変わっていくものだ。
自然とそうなったのだから、それでいいともいえるが、自分の文章を書きたい、と思うのであれば、意識的に一人称を選んでみてはどうか。
わたしの提案はそういうことだ。
上手な文章というものがどこかにあって、自分にはそれは書けない、という思い込みは、まったく不要なもの。
どこかに文章の上手な人がいて、上手な文章を書いているというのは事実かも知れないけれど、そのことは、自分が文章を書くこととはなんの関係もない。
いまは、なにを書いても、こうして不特定多数の人に即座に読んでもらえるメディアがある。
だから、読んでもらう前提で書くことが「文章を書くこと」と思いがちだが、自分の文章を書くための最初の段階は、自分以外の誰も読まない文章を書いて、自分で読むことだ。
改めて意識的に選んだ一人称を使って、日記ではなく、ただ、感じていることを書いたり、見ているものを描写したり、出せないラブレターを書いたりして、自分で熟読すると、文章と自分との距離がぐぐっと縮まる。
文章と自分を循環させて、その回転速度を上げて、間合いを縮めるのだ。
そうするうちに、スタイルができてきて、文体というものも見えてくる。
いい感じになってきたな、と自分で思えるならば、他の人にも魅力的になっているはずだ。
おしゃれと同じで、自分なりにキメてから人前に出るのがよいと思う。
忍冬無手勝流文章教室。
つづきはまた。