羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

コンパクトを開くように

誰にも見せない自分だけの文章は手書きだとなおよいと思う。

 

ミッドセンチュリー生まれのわたしには、ペンとノートがどうしても必要だ。

自分から言葉が出てくることを実感するのには、万年筆がいちばんで、ノートもペンがよく走るつるつるした紙のを使っている。

もっといえば、万年筆はペリカン、インクは服についても洗えば落ちる4001ロイヤルブルー。

ノートはアピカの「紳士なノート」というのをここ数年愛用。

 

これがわたしの推薦品ということではなくて、自分にとっていちばんしっくりくるものを探してみて欲しい。

大きな文房具屋さんにいって、あれこれ開いたり書いたりして、これがわたしだ、と感じられるような組み合わせを選ぶ。

一人称を選んだときと同じ感覚だ。

安価なものでも高価なものでも、自分の選択眼を信じて。

 

セットがバッグに収まったら、それからはいつでもどこでも書きたいときに取り出す。

ノートの面は、心を映し出す鏡だ。

コンパクト(いまどきはパウダーファンデのケースか)を開くようにしばしば開いて、自分の心を映し、それをペンでなぞるのだ。

男性も、できれば気分だけでもそんなふうに。

 

書いたものは書いたそばから自分が読む。

書き終わったら、読み返す。

手で書いたものだと、そのときの自分の体の感じや、周りの情景までよみがえると思う。

ノートはその場所の空気とあなたの吐いた息を吸って記憶してくれているから。

 

書いて読む、書いて読む、を繰り返すと、自分との対話を深めることになる。

それが、文章を書く手前の、自分自身の内容を醸していく。

自分という内容とそれを引き出す一人称があれば、あとは書くだけ。

 

その書くだけが難しいんですよ、といわれそう。

以下次号。