羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

書き留める

『親の家を片づけながら』(リディア・フレム著・友重山桃訳・ヴィレッジブックス)という本を読みはじめた。

近い将来、わたしも母の家を片づけることになるだろうから、予習のつもりで。

 

ほんとうは、もう片づけはじめていなくてはならないのに、まったく手をつけていないからいつも後ろめたいのだ。

いつか大変な思いをするぞ、と未来からの導火線がちりちりいってくる感じ。

 

著者はフランスの精神分析学者で、一人っ子の女性。

書店で冒頭を読んで、知性的で率直、品格のある書きかたに惹かれた。

 

「人はいつか父と母を失い、孤児になる」

 

わたしも父を失い、母の精神活動をほぼ失っている。

75%は孤児であるように思う。

 

「子供とはもういえない年になっても、残される者は身寄りのない孤児だ」

 

そうなんだろうなあ、きっと。

 

章扉に詩の一節が引用されている。

扉だけを探して読んだ。

なかほどの扉に、

 

「私は、誰にも言えないことを書き留める ── プリモ・レヴィ」

 

とあった。

巻末の、著者による「詩人紹介」を読むと、レヴィはユダヤ系イタリアの作家で、ホロコーストの生き証人として自伝的小説や詩集、短編集を出すが、最後は自殺してしまった、と。

 

それを知ってからもう一度

 

私は、誰にも言えないことを書き留める」

 

に戻ったとき、わたしは、自分でもまだ聞いたことのない声で泣きだした。

胸のまんなかから絞りだすような、嗚咽だった。

それはいつまでも止まらなかった。

 

レヴィがわたしの胸にきてしまったのだった。

そして、わたしが隠していた声と涙を解き放った。

 

なぜ悲しいのか、なぜ泣くのか、他のときならそこにストーリーがある。

言葉で追える次第がある。

でも、この一行は、筋書きを飛ばして、ほんものの鍵になってわたしの胸を開けたのだ。

 

やっと涙が収まったとき、思った。

わたしは、誰にもいえないことをまだ書き留めていない。

いえることしか書いていない。

自分だけが読むためにさえ、誰にもいえないことは書いていないのだ。

 

エッセイを連続で100本書いてみようと始めたブログが、今夜でちょうど100回めを迎えた。

明日からも続けて「書き留める」ことへと進もうと思う。

よろしければ、これからもおつきあいください。

 

百の夜、百の朝を分かち合ってくださったこと、感謝しております。

ありがとうございました。