子は育つ
育児の話を始めようかと思う。
2000年に『わたしのままでママになる』を大和出版から上梓した。
当時はこどもたちが8歳と4歳。
まさしく育児の真っ最中だった。
現在二人は23歳と19歳。
育つものだなあ。
「わたしがあっても子は育つ」
って本を書こうかしら。
いまでも小さい子を見かけると、自分のなかでスイッチが入るのを感じる。
母親らしいことは授乳以外できなかったに等しいのだけれど、こどもたちに集中するということはつねにしていた。
それが癖になっていて、近くに小さい子がくると、しゅうっと意識が集中するのだ。
一つにはこどもの身の安全を守ること。
こどもの動きに備え、外からこどもに向かってくるなにかに対する防御の構えを、心のなかで取る。
たとえていうと、相手のサーブを待つバトミントン選手のような心身の態勢。
もう一つは、こどもがいま何を見ているか、何に興味を示して、何を知りたがっているかに注意すること。
ああ、とか、うう、とかしかいえない頃でも、こどもは自分を取り巻くものへの問いかけを持っている。
そのときを逃さずに応えてやることを心がけていた。
実際には、こどもと目を合わせて「なに?」みたいな顔でいるのだが、これをすると、とくに男の子がよくなついてくる。
相手がまだしゃべれなくても、しゃべれる前提の表情で「ん?」と聞くと、ほぼ百発百中で、その子はにまあっと笑ってくれる。
どんなに小さくても、こどもは、意味のあるコミュニケーションを求めているのだ。
日本の赤ちゃん用の絵本に見られるような、あやしというものは不要だとわたしは思う。
もっと意味を、もっと説明を、体験に寄り添うことを。
教えるよりも答えることと応えることを。
この項つづく…