羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

ベビーカーの観察者

息子と娘は3歳11か月離れている。

娘が生まれて1か月で、息子は幼稚園に入った。

徒歩で保護者が送り迎えする幼稚園だったから、生後1か月の娘を「スナグリ」」という、カンガルーのポケットのような抱っこひもに入れていった。

娘は小さくて、気がつくと、スナグリのなかで丸まって頭が出ていない状態になっていて慌てたこともしばしば。

 

2学期からはベビーカーに乗せた。

わたしは自転車に満足に乗れなかったし、たとえ乗れたとしてもこどもたちを抱っこしたり後ろに乗せたりして走るのはぜったいに無理。

どこへいくのも、ベビーカーで息子のあとを追いかけるようだった。

 

娘はそのベビーカーの上から、いつも眉根を寄せて、兄や兄のともだちの様子を真剣に見ていた。

そして後年こういったものだ。

小学校の低学年の頃だったと思う。

 

ベビーカーに乗っているうちは、おにいちゃんのすることを見て、あれはこうするんだな、こうすればできるんだな、とかぜんぶ分かったつもりだった。

でも、2歳くらいになって、ベビーカーから下りて、自分で実際にやってみるとうまくいかないことがたくさんあった。

あの頃は失敗が多かったなあ。

 

第一子は、大人の真似をしていろいろなことを覚える。

第二子以降は、上の子が覚えてやっている、こどもバージョンのそれを見て覚える。

大きさや若さが近い分、吸収しやすいのではないだろうか。

 

しかし、シミュレーションが完璧にできているだけに、いざ自分がやってみて失敗したときのショックが大きい。

娘はとくに負けず嫌いだったから、おにいちゃんにできてなんで自分にはできないんだ、と悔しかったことだろう。

 

そのせいなのか、彼女はいまだに、自分にできそうなことでも、なかなか人前ではやらない。

つくづく失敗はしたくないのだ。

 

どの子も、気が小さかったり、臆病だったりする側面を持っているが、現れる場所がそれぞれに違う。

息子は、暗がりや、暗いなかに展示されている人形やフィギュアをひどく怖がった。

娘はそういうものは平気だったが、失敗することが怖かったのだ。

 

二人とも、怖いもの知らずなところはまったくなくて、それがわたしとはいちばん違うところだ。

一言でいうと慎重。

向こう見ずな母親が無手勝流に育てても、こどもたちは慎重。

そのことだけを考えても、育児に心配は無用であるとわかるではないか。