羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

まん「じゆう」こわい

このブログでは、過去のことをよく書いている。

振り返って見るのが好きなのだ。

もう起こってしまって動かないこと描写するのは、たとえていえば風景画を描くような感じ。

じっくり取り組める。

 

いっぽう、未来のこととなると、ほとんど考えていない。

なにがしたいか、どこへいきたいか、どんなふうに過ごしたいか。

え、といいたくなるほど、考えていないことに気がつく。

 

こどもたちを育てている間、そのあと、母の発症から介護の4年間。

この半年は、入院と手術、転院してリハビリ、老健施設への移動。

自分がなにかをしたいと思ってもできないだろうと、あらかじめ諦めるのが癖になっていた。

これが一段落したらなにをしようか、というふうにも考えなかった。

 

「希望しても叶わない自分」に酔っていたのだろう。

パスポートは取得したけど、母と同居しているから旅行は無理。

母は入院しているけど、容態が安定しないからどこへもいけない。

安定したけど、まだ入院中。

いまは老健施設なので、なにか急なことが起こらない限りわたしが呼ばれることはない。

ここに至って、もう「無理」はないのだ。

 

その恐ろしいことといったら。

なにを望んでもいい、なんて怖すぎる。

冗談抜きで。

 

まんじゅうこわい」みたいなものだろうか。

もろもろ足し合わせると、30年ぶりくらいに、わたしは「自由」。

ハレーションを起こすほどに輝く時間を前にして、今度は渋いお茶が一杯怖い。