ぷかぷか
「あなたになら言える秘密のこと」(2005年・スペイン)という映画のなかで、ヒロインが、自分にプロポーズをする男性に、こんなふうにいった(と記憶している)。
「わたしはいつか、泣き出して止まらなくなり、家じゅうが涙に沈んでしまうかも知れないのよ」
彼女の傷の深さに比べたら、転んでかさぶたをこしらえた程度のわたしの心だけれど、このところ、泣いては顔を洗ったりしている。
それは、悲しいのではなくて、いろいろなことに気づいての涙だ。
わたしは、過去にあった、つらかったことやいやだったことが、なかなか忘れられない。
通算何千回も思い出しては、つらい気持ちやいやな気持ちを心に繰り返している。
つらかったこともいやだったことも、そのこと自体は一度きりなのに、なぜ忘れられないのだろう、なぜ何度も何度も思い出してしまうのだろう。
「根に持つタイプ」だからだろうか。
思い出すことそのものも、つらいことやいやなことになって、ますます重層的に忘れられなくなる。
自分をいじめるそんな行為のわけが、わからなかった。
それが、けさ、ふっとほどけるようにわかった。
思い出すことで自分を守っていたのだ。
わたしのつらいことやいやなことは、守ってくれるはずの人、守ってくれると期待していた人との間で起こってきた。
こんなことがあってつらかった、といって慰めてもらいたくても、それは相手を責める言葉にしかならなかった。
そこで拒絶されて、また傷つく。
だから、自分から出ていかないように、それをキープしていなければならない、といつか思ったのだ。
しっかり押さえて、何度も思い出してはまたしまいこむ。
そうしているうちに、つらい思い出がわたしを守るものになった。
それを覚えていること、外に出さないことで、次にまた傷つくことを防ぐ。
なんと痛ましい努力をしていたのだろう、と気づくと、わんわん泣けてくる。
一人だから構いはしない、タオルケットで涙を拭いてしまう。
ほどけてきたのにも理由があって、話すと長くなるけれども、つまりは、時間が経ったこと、一人になれたこと、素直さを取り戻せたこと、などなどである。
忘れられないことは、恨みがましいだめなことではなくて、自分を守るためにそうしている場合もある。
自分のケースでそれがわかったことであった。