羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

コワモテ

「こわもて」を漢字で書くと「強面」だとわたしが知ったのはもうだいぶ大人になってからだった。

それまでは「怖くてモテる」の略だと思っていたのだ、うっすらと。

 

うっすらと、というのは、そんな意味の言葉だろうという見当で深く考えなかったということ。

「怖くてモテる」人は嫌いじゃない。

なつきやすいといったらいいか、下町育ちだから、周りのおにいさんやおじさんはそんな人が多く、彼らに優しくされてきたから、好きだ。

つまり、怖い人はわたしにモテる、という意味の「コワモテ」。

 

逆も真なりで、わたしは怖い人にモテる、という意味の「コワモテ」でもあった。

強面を怖がらないからかわいがられる。

相思相愛の「コワモテ」。

 

それはそれでよくて、きょうは「怖い」ということについて書こうと思っている。

「怖い怖い」と怖がられることについて。

 

ここでも何度か書いているが、わたしは中高続いたミッションの女子校の出身だ。

制服がなく、校則が三つしかなかった。

曰く、学校にくるときは校章をつけること、校内では上履きを履くこと、登校したら無断で外出しないこと。

1クラス50人で5クラス、1学年250人。

自分でいうのもおこがましいけれど、聡明、利発、才気煥発な少女たちの集まりだった。

 

それらに6年間、自由と責任を旗印に、聖書に基づいたキリスト教教育を施すとどうなるか。

本人さらに教育を受け、社会に出て、結婚もする、出産育児もする、その他いろいろな経験を積むとどうなるか。

250人250色の人生なわけだが、共通点は少なくとも一つあり、その一つが非常に堅固である。

すなわち、男性から怖がられるのだ、みいんな。

 

結婚相手からも当然怖がられる。

彼は、妻の元同級生たちにも同じ目を向ける。

集合写真など見せようものなら「みんな怖そう」。

 

女性もある年齢に達すれば、押し出しがよくなったり迫力が出たりするものだが、それを「おばさん」というならいわれてもしかたがないが、わたしたちのはそれだけではないようなのだ。

写真を客観的に見れば自分たちでもわかる。

笑っていても、澄ましていても、おどけていても隠せない。

これは「凄み」だ。

 

凄んでいるわけではないのに、凄みがある。

男性が引くのも無理はない。

男性は優しくて、女性にも優しさを求めているのだもの。

 

しかし、わたしは思う。

わたしたちはハードボイルドなのだ。

優しくなければ生きている資格がない、というあの。

凄みこそ、わたしたちの優しさの証。

 

ここで「コワモテ」が帰ってくる。

怖い怖いといわれるのはじつはモテているということなのかも。

怖いもの見たさという言葉もあるし。

 

凄い優しさを知りたければ、いつでも口笛を吹いて。