日本のどこかに
シルバーウィークは明日まで。
老人保健施設で暮らしている母の状態は落ち着いているので、泊まりがけでどこかへいっても構わないのだが、なんとなく、自宅を離れられずにいる。
鎖国女といわれながらも、パスポートは一昨年取得済みだから、海外だっていける。
月が変わってなにごともなく2週間、1か月過ぎたあとには、ああ、いっても大丈夫だったなあ、と思う。
後悔しないように、いきたいときにいきたいところへいけばいい。
そういう言葉にもうなづけるが、なにかあって、すぐに連絡が取れなかった、すぐにいけなかった、という後悔をするかも知れない、とも思う。
そういう自分だったら、無理をすることはないのだろう。
いきたいときにいきたいところへいく、が「したいこと」でないのならば。
わたしのしたいことは、しばらくはこうして、なんとなく、遠出しないでいることならば。
ただその一方で、母の死を待つような過ごしかたはしたくない、と思う。
だからわたしは好きなようにするの、どこにでもいくの、という振り切る方向ではなくて、これもなんとなく、わたしの生活は楽しんでいて、毎日幸せに眠りにつく、というありようで。
だけど、とキリがないのだけれど、こうして考えているとせつなくなってくる。
どう繕っても、母の死を包括して前を見なければならないことが。
一泊だけ、どこかへいってこようかな。
秋のディスカバージャパン、で。