相手を決める
一人称が決まった、自分だけでこっそり書いて読んだ、文章と自分の距離が近づいてきたような気がする。
そしたらどーんと、書きましょう。
なにを。
なんでもいいんです。
それが困るんですよ、作文の題が「自由」ってやつでしょ。
あれは苦手。
いや、なんでもいいっていうのは、相手を決めることのほうが先だから。
相手が決まれば、書くことはなんでもいいの。
そうなんですか。
たとえば、相手が好きな人なら。
好きな人なら。
好きだってことしか書くことはない。
えええ。
それはまた極端な。
好きだってことを伝えるために、題材を探すわけですよ。
なにを書いても、要は好きっていいたいだけ。
ここはラブレター教室なんですか。
いえ、文章教室ですよ。
どんなに広く公にして書く文章だとしても、相手はいるんです。
架空の誰かが読むのではなくて、実在の人物が読む。
未知というだけで、その人は、好きな人と同じに、リアルに存在しています。
だから、伝えたい相手というものを、リアルに想定する。
まだ見ぬ人の生命に向けて書く。
そのように感性を絞り込んでみる。
あとはなにを書いても大丈夫。
相手はきっと受け取ってくれる。
「相手を決める」っていうのはそういうことなんです。
自分の文章を人に読んでもらおうとすること自体が、とても楽観的な行為だ。
それを自己満足に落とさないためには、読んでくれる人のことを、好きな人のことと同じくらいいつも思っていることが大事。
なにを書こうかな、なにを書いてやろうかな、と、テーマで頭を巡らせる前に、相手のことを考えよう。
これが忍冬流極意その三。