わたしの命
こどもたちの命のことを書いたから、必然なのだろう、自分の命のことを考えた。
わたしは長いこと、自分の命を許せなかった。
わたしは、父が別に家庭を持ちながら、母を愛して生ませたこどもだった。
自分がこどもを持ったとたん、その出自をますます苦しく感じるようになった。
赤ちゃんは、こどもは、自分が守り育てなければすぐにも死んでしまう。
だからこそ、どうしていいかわからないほど愛おしい。
父はなぜ、前のこどもたちを捨て、わたしを育てたのか。
生んだ女性への愛情で、こどもの意味が変わってしまうのか。
母はなぜ、父をもとの家庭に返さなかったのだろう。
どうして、わたしと二人で生きる道を選ばなかったのだろう。
疑問はつまり、父や母への詰問だった。
そんな苦しいドラマのまんなかに、わたしを生みだした両親への怒りだった。
こどもたちを育てることにすべてを注ぎながら、わたしの心はどんどん翳っていった。
苦しみを背負ったまま年月を過ごすことはじつはたやすい。
罪の意識を持ちながら、それを手放すことにもっとも罪を感じるからだ。
育児の手が離れてきたころ、父が病を得て、母の介護を数年受けた後に亡くなった。
母は父の三回忌を終えた日から認知症の症状に踏み入った。
父は、わたしの詰問に答えることなく死んだ。
母は、過去を忘れ、判断力を失うという形で、自分のせいではないという主張を通したようにわたしには思えた。
わたしの、異母きょうだいへの罪の意識だけが残った。
父と母とを許せないということは、自分の命を許せないことに等しい。
それがなかなかわからなかった。
父や母を許さなければ楽になれないと思ったが、じっさいは、自分を許していないから苦しいのだ。
自分が生きていることを許さないで生きるなんて、息を止めて走るようなもの。
このままで明日にも人生が終わってしまう可能性だってある。
もう、いいことにしない?
わたしの誕生が何人もの人の苦しみの種になったとしても、自分のなかでは、それでよかったことにしない?
宿ったからには生まれなければならなかった命だったと、思うことにしない?
お前なんかが生まれたからいけなかったんだと、責めていたのは、他ならぬわたしだけだった。
きょうだいたちへのすまない思いを、離れていても会えなくてもこれも半分の妹としての愛なのだととらえ直し、許された自分を生きていきたい。