羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

I am here for you 1

映画の前に時間が空いて、書店に寄った。少し前から読んでみようと思っていたティク・ナット・ハンの著書のコーナーがあった。ハン師は、ベトナム生まれの禅僧であり、平和・人権運動家。いま、ここに集中して、日常生活のなかで気づきつづけるための瞑想を…

痛みとともに

よそったばかりの豚汁に、お椀を持っていた左手の親指を突っ込んでしまった。 ラーメン屋さんのやる気のない店員みたいな形だと瞬間思ったが、そんなこといってられない熱さ。 豚汁って脂が溶けてるから、豆腐とわかめみたいなスタンダードなお味噌汁より温…

大問題

人から見たら、どうでもいいようなことが、自分にとっては大問題、ということがある。じっさい、おおかたの問題は人から見たらどうでもいいに違いない。そんなこと問題にしているのは自分だけなのだ。わたしのその種の大問題のうち、選りすぐりのものをお届…

エバミルクの雲

カウンターの向こう側の人の思い出をもう一つ。 実家のマンションのすぐそばに「クイーン」という喫茶店があった。 わたしが中学の頃に60歳くらいだった夫婦の店だった。 マスターは、手塚治虫のキャラクターにいそうな、鼻が高く顔立ちの整った人。 いつ見…

カウンターの内側

喫茶店やパーラーやレストラン、お寿司やさん。 わたしは、カウンターのなかの人に親しみを覚える。 いちばん最初のカウンターの記憶は、高輪のボウリング場だ。 レーンのフロアの一段上は、広いロビーになっていて、その一角にカウンターだけの喫茶店があっ…

添削のたより

片づけの最終局面、昔の手紙に至る。 これはしばらく前に整理してあり、改めて見ても、大切なものしか残していない。 なかに、1998年の夏の終わり、俳人の西脇はま子さんが、わたしの二十句余りを添削してくださった一通もあった。 はま子さんは、鶉句会の後…

鶉句会時代

先日書いたように、同級生のグループで句会を始めた。 主宰以外は初心者なのだけれど、じつはわたしは以前戯れに、母を背負ったのではなくて、戯れの句会に参加していた。 宗匠もたんなる俳句ファン、メンバーはわたしも含む「宗匠」の仲間内と、わたしの実…

まん「じゆう」こわい

このブログでは、過去のことをよく書いている。 振り返って見るのが好きなのだ。 もう起こってしまって動かないこと描写するのは、たとえていえば風景画を描くような感じ。 じっくり取り組める。 いっぽう、未来のこととなると、ほとんど考えていない。 なに…

原稿用紙とペンで出かける

きょうは外で原稿を書きたいと思った。 息子に貸しているMacを取りにいくのがちょっと面倒。 きのうの遠出の後で体力がいまひとつ。 Mac Book Airも重いなあ。 あ。 こないだの片づけで3冊見つけた原稿用紙があった。 クロゼットのなかに立てて置いたんだ。 …

はじめての吟行

けさは銀行へいく用事があったが、その後は吟行だった。 いつの日か俳人同様になることを夢見て、かつての同級生と語らい清澄庭園へ。 はじめてながらやる気十分の彼女たちに遅れまいと、庭園に一歩入った瞬間、わたしは自分の感覚がぱあっと開いていくのを…

お値打ち

靴、ランジェリー、化粧品、アクセサリー。わたしは、自分が入れ込んだものを人に薦めるのがうまい。どれも、いってみればマニアックなもので、一般的な製品に比べたら値が張る。この「値が張る」というのがわたしのキャッチフレーズ。なにをするにも値が張…

S&S 奉仕と犠牲

東京女子大学の校章は、二つのSを90度に重ねた形。 service(奉仕)とsacrifice(犠牲)の頭文字だ。 プロテスタント系の大学なので、どちらの言葉も、聖書においての意味で理解する。 「神」「主」「イエス」に「尽くし仕える」すること、そのために自分を…

自己紹介文

娘が大学のメディアの授業で自己紹介文を10個書かされたらしい。 わたしは<形容詞/連体詞><名詞>です、という形で。 見せてもらったら面白かったので、母エッセイストとしても書いてみよう。 (娘は「エッセイストの娘」も使っていたし) わたしは、品…

なじめない

前々から、スパッツやレギンスへの疑問(なぜタイツではいけないのか)をあちこちで投げかけている。足首を不粋に横切る裾線。あれがあるだけで「脚を出していることにならない」という暗黙の了解があるらしいが、脚の線は見えている。細かろうと太かろうと…

中間報告

片づけてわかったことの一つは、わたしはノートをめったやたらと持っているということだった。 なにか書きたくなったときのために、ノートとペンがバッグに入ってないと落ち着かないし、文房具店でちょっといいノートを見つけるとつい買ってしまう。 したが…

まさかの片づけ

その本は避けて通っていた。 最初に見たのは中央線の車内のドア横に掲示された広告だったと思う。 『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻理恵著・サンマーク出版)。 かわいらしい女子大生のような著者近影と「片づけ」のギャップ。 それにしても「人生が…

夜という字

「夜」という漢字を習ったのは小学校2年生のときだったろうか。 こくごのノートに何度も書きながら、この字はおかあさんに似ていると思った。 書けば書くほど、おかあさんに見えてくる。 そっくりだった。 そのころの母はやせて、頬骨が出ていた。 ほお骨の…

わたしの命

こどもたちの命のことを書いたから、必然なのだろう、自分の命のことを考えた。 わたしは長いこと、自分の命を許せなかった。 わたしは、父が別に家庭を持ちながら、母を愛して生ませたこどもだった。 自分がこどもを持ったとたん、その出自をますます苦しく…

こわかったこと

育児していて、いちばん怖かったのは、こどもたちが死んでしまうことだった。 それは妊娠がわかったときから、始まっていたのだと思う。 息子のときはつわりもなくて、妊娠中は元気いっぱいだったのだが、娘はつわりから始まって後で気づいたくらいで、安定…

説教するときは

こどもたちそれぞれと一対一の関係を結ぶということに関連して、もう一つ。 わたしが無意識のうちに避けられたことがあった。 自分が一人っ子だったために、息子に対して「おにいちゃんなんだから」という言葉が出てこなかったのだ。 「おにいちゃんなんだか…

一対一の関係

リンドバーク夫人の『海からの贈物』(吉田健一訳・新潮社文庫)を初めて読んだのは、まだこどもを持つ前だった。 文章のなかで印象的だったのは「こどもたちはきょうだいが何人いようと母親とは個別の関係を持ちたがっている」というくだりだった。 わたし…

空月謝 2

娘は、生後1か月から兄の送り迎えにつき合わされた。 どんなに熟睡している状態でも、家に置いていくわけにはいかない。 寝たまま抱っこして送っていき、家に帰ってベビーベッドに下ろすと起きる。 ベビーカーでも同じだった。 移動中は寝ているが、帰ってく…

空月謝 1

息子と娘は、地元の同じ幼稚園に通った。 3学年違いなので、わたしにすれば連続6年、送り迎えで通ったわけだ。 しかし、そのうち1年は、それぞれが半年ずつ登園拒否。 ともに年中組のときだったが、理由は違った。 息子は、最初、あるともだちが工作を踏みつ…

臨時休筆

ただいま、iPhone操作の不手際により、電源が落ちて、書いてた文章すっかり消えました。地味に立ち直れません。誠に勝手ながら、今夜はお休みとさせていただきます。みなさま、よい夢を。

予告編から

育児のお話は一晩お休み。ともだちが見てきた映画の予告編の話を、またリレーで書いてみる。それは恋愛映画の予告編で、こんなナレーションが入ったんだそうな。「誰が好きか、ではない。誰といるときの自分が好きか、だ」さすが、予告編。きゅんとさせてく…

おべんとつけてどこいくの

このところ育児とこどもについて書いているから、街でもますますこどもたちに目がいくようになった。 いま東京は寒いのだけれど、この前の土曜日は春らしい陽気に恵まれた。 ともだちを迎えに最寄り駅までいく道で、こどもたちの鼻歌をいくつも聞いたし、笑…

紹介します。

街で出会うこどもたちと、言葉や表情でコミュニケーションしていると、こどもたちの生まれもった礼儀正しさをしばしば感じる。たとえば、ベビーカーに乗っている一歳未満の赤ちゃんは、目が合うと会釈してくれる。赤ちゃんも会釈するのだ。しないと思ってい…

ベビーカーの観察者

息子と娘は3歳11か月離れている。 娘が生まれて1か月で、息子は幼稚園に入った。 徒歩で保護者が送り迎えする幼稚園だったから、生後1か月の娘を「スナグリ」」という、カンガルーのポケットのような抱っこひもに入れていった。 娘は小さくて、気がつくと、…

文字を覚える

応答型ママだったわたしは、読み書きについても、こどもたちの求めに応じたのみだった。息子は幼稚園の年長組のときにポケモンを始めた。忘れもしない緑色のゲームボーイ。彼はそれを一日に何十回となくわたしのところに持ってきて、聞いた。「なんて書いた…

おむつクロニクル

夜も遅いのでもう大丈夫かな。 きょうはおむつの話。 これからご飯の方はのちほどまたお読みください。 長男育児中、わたしはずいぶんストイックだった。 完全母乳育児のためにマッサージに通い、玄米菜食を貫いた。 肉、卵、乳製品、油、砂糖、白米、白パン…